インタビュー 豊田滋生先生 令和2年秋「藍綬褒章」受章インタビュー 2021.03.1 医師の豊田滋生先生(笹木野)が、令和2年秋の「藍綬褒章」を受章されました。 豊田先生は、クリニック宇(そら)の院長として民間診療をする傍、昭和48年(1973年)4月から現在もなお、海上自衛隊徳島航空基地の中で、週3回2時間の委託診察に従事されています。 今回の受章は、自衛隊医療協力者としての功績が高く評価されたものです。 令和2年(2020年)11月24日、海上自衛隊徳島教育航空群の格納庫の中で開催された「伝達式」では、約150名の隊員たちが見守る中で、厳かに山内康司群司令(当時)から勲記が伝達されました。 豊田先生、おめでとうございます。少しお話を聞かせてください。 自衛隊医療協力者になられたきっかけは・・・ 時は47年前に遡ります。昭和48年4月当時、海上自衛隊徳島教育航空群には防衛医大卒の医師資格のある自衛官、「医官」がおられたそうです。「その方の手助けをしてくださいませんか?」とお声が掛かり、最初は手助けだったのですが、その後、医官の方が医者としての勉強のため、この教育航空群を離れられました。 すると、医官不在の間、この基地の診療を任されることになり、だんだんと自衛隊の活動範囲が広くなったためでしょうか、医官が配属されなくなったそうです。 心に残ることは・・・ 「何せ47年もの間、長く診療しているし・・・。対応した自衛官が多すぎて覚えていないなぁ。」と笑って答えられ、「航空学生であった頃に診察した学生さんが、何年ぶりかにパイロットになって帰ってこられてね、私に挨拶してくれるんですよ。会うたびに昇格されている。」 つい最近も、P-3C哨戒機のパイロットになった方に偶然基地の中でお会いして、ご挨拶をして頂いたところだそうです。「でも、私は覚えていないんだよ。(笑) だが、とても嬉しかった。」と、満面の笑みを浮かべて語っていただきました。 隊員に対して・・・ 「国のため、国民のために安全を守る自衛隊員が、憲法に守られておらず、そこが痛切で、悲しく思っています。自衛隊の方は規律正しく、何事も潔さが素晴らしい限りです。 豪華客船ダイアモンドプリンセス号でのコロナウイルス発症時でも、日頃の危機管理が完全にできているので、安心してお任せすることができましたね。これは自衛隊の偉業です。素晴らしい。羽田空港・成田空港の検疫など、コロナに対する水際での処置に対しても自衛隊が活躍されている。」 「私たち医者も、少しでも何か出来ることはないか?そういう気持ちがあって、今日まで(自衛隊医療協力に)携わってきた。」と、お話しされた豊田先生でしたが、週3回2時間の制約の中で、「満足に(診療が)できてないのじゃないか?」と、とても心配されておりました。 医者を目指す後輩達へ 「自衛隊の医者は、国を守る、国民を守る、自衛艦隊を守る、という大変な役割があります。そういうとこを目指す医者が出てほしい。」 改めて受章されて・・・ 「47年間のご評価をいただいて、たいへんうれしく思います。コロナ禍のため、伝達式が東京ではなく、地元・徳島教育航空群での開催となりました。これがむしろ、山内群司令からの伝達となったことが、何よりもうれしかった。」と語られました。 プロフィール 豊田 滋生さん(笹木野) 趣味: スポーツ全般(昔は、野球・ゴルフ。今は、スポーツ観戦)好きです。 若い頃、徳島大学野球部でした。 書も嗜みます(過去《昭和39年》に、日展入選しました)。 他に、美味しいものを食べることが大好き。労を厭わない。 誠に、おめでとうございます! これからも生涯現役で、ますますのご活躍をご祈念いたします。 Tweet Share +1 Hatena Pocket RSS feedly Pin it インタビュー インタビュー, 藍綬褒章, トピックス 松茂町給食センター☆人気レシピ3『焼きビ…前の記事 マツシゲートのうまいもの探訪記①~魚介類…次の記事